【浅井国幹顕彰会】について
尾張藩藩医 浅井国幹 先生
【浅井国幹顕彰会】の会長である末盛クリニック 伊藤嘉紀先生と 会の世話役である私とで毎年11月3日(月・文化の日)に名古屋の常楽寺で開催される浅井国幹先生並びに浅井家代々の法要とその後行われる漢方古書の読解などの勉強会の打ち合わせをしました。
時間があったので 常楽寺(名古屋市千種区)にも出向いて浅井国幹先生のお墓参りをしてきました。
日本漢方界の重鎮(70~80歳代)により支えられている会なので 若手(50歳代でも下っ端?)の私は世話役として何でもやらなくてはなりません(苦笑)
この顕彰会の主役 浅井国幹先生(1848~1903)は代々尾張藩医の第10代目で、漢方医学復興に奔走した医師です。
1874年漢方復興を目指して山田業広先生が中心となって東京に温知社を設立します。
愛知からは国幹先生が博愛社を設立し、1881年の全国大会で温知社の第3代議長に選出されます。
この後、漢方医継続の請願を繰り返しますが 努力の甲斐もなくことごとく却下されました。
1883年「医師資格制度」が法律化され、翌年「医術開業試験規則」「医師免許規則」が施行されます。
その後、国幹先生は同志によって帝国医界を結成し、議会闘争を繰り広げますが「医師免許規則改正法案」は数票差で否決されてしまいます。
残念ながら努力の甲斐なく【漢方復興の夢】が絶たれてしまいました。
国幹先生は、傷心の中で1900年名古屋に戻り、1903年53歳でこの世を去りました。
亡くなる少し前に その無念の心中を常楽寺の先祖代々の墓に刻み先祖に詫びました。
浅井国幹先生の告墓文の一部分には…
【千年も続いたこの道統を誮が支え守るでしょう。十世も続いたわが家の医業も、今やその継続を絶とうとしております。憂心混乱して申し上げる言葉に窮する次第であります。明治33年庚子11月5日、十代目嫡嗣、才拙き浅井正典、真心をこめ血涙を流し再拝し謹んで申し上げます…】と記されています。
告墓文に込められた国幹先生の無念を思うと、今日私たちが保険診療の中で漢方を処方してもらえることに、感謝、感謝ですね。 ありがたいことです。
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